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カルスト台地での鳩狩り 第3話

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 友人との再会からしばらく月日がたった、ある秋のはじまりの休日の朝、私は散歩がてら近くにある図書館によった。図書館に入るのはひさびさだった。館内はしんとしていた。まるで全ての音がそこに静かにたたずむ大量の本によって吸いこまれてしまったかのようだった。

 私はリルケの詩集を見つけると、「オルフォイスへのソネット」を探した。そして彼の言っていたカルスト台地での鳩狩りについての詩を読んだ。

 彼が言ったことについて、私は全く理解できないというわけではなかった。私も時おり、同じように感じることがあったからだ――といっても、彼の感情のスケールに比べれば微々たるものにすぎないが。私はふと思う、自分がいままで過ごしてきた生活とはいったい何だったのだろうか、と。それは自分が本当に望んだ生活だったのだろうか? もしいま、それらに飽きつつあるのならば、それは本当とは言えないものであり、私には自分でさえ知らない、自分の心を完璧に満たせる真の望みが別にあるのではないか?

 私には子どもたちがいるし、会社に行けばまだ仕事は残っている。いまある生活の意味がすっかり無に帰ってしまったわけではない。ところが、それらは私の後ろにあるものであり、顔をあげて前を見てみると、そこにはもはやただひとつのものしか残っていない。家庭の幸福や仕事の充足感は長い時間をかけてその味を失っていき、もう私の心を大きく動かしてはくれないが、目の前にあるそれは私の心をつかみ、非常にいやなやり方で揺さぶる。私はそれから逃げるために「幸福な生活」を夢中になって追い求めてきたのではないか? そんな極端な考えさえ浮かんでくる。……私は再びリルケの詩に目を落とした。「死の、かずかずの、平静にきめられた規則が成り立った、……」私はそのまま立ちつくしながら、気の向くままにリルケの詩をいくつか読んだ。

 図書館からでると街の雑多な音に取り囲まれた。太陽の光が暖かく空気に満ちている。私はさきほど読んで新しい印象をうけた詩について考えていた。リルケの「変容」についての詩だ。その詩において、物事が変化することは炎に喩えられている。リルケは美しいものとしての炎を書いたが、私はイメージのなかで別の属性を炎にあたえていた。私のイメージしたのは小さな炎だった。一本の白いロウソクに灯された小ぶりの火。私の友人はその火に手のひらをかざしていた。火は彼の手を焦がし、肉を焼きくずしていった。激しい痛みに彼の顔はゆがんでいる。しかし彼は小さな火から手をのけることができない。

 変容というのはつまりはそういうことなのだ、と私は思った。炎のなかで「変容」が進行するのを私たちは耐えるしかない。生きるために必要だった、情熱と穏やかな幸福を生み出すみなもととしての価値観を失くしたのち、私たちはそれでも続く生のなかで、死と向き合いながら、再び何らかの新しい価値を見いだすことはできるのだろうか?

 リルケはその最後のスタンザでこう述べている――「すべての幸福な空間は別離の子か孫であり、その空間を人びとは驚嘆しつつ通り抜ける。そして変容したダフネは/自らを月桂樹と感じていらい願っているのだ、おまえが風に変じることを」〈終〉

 

※注 ギリシア神話において、アポロンからの執拗な求愛から逃れるためにダフネは自らを月桂樹に変身させ、その追跡から逃れた。

 

引用:R.M.リルケ「オルフォイスへのソネット」田口義弘訳/河出書房新社