カルスト台地での鳩狩り
すずき
彼と会うのは二年ぶりだった。彼は古い友人で、今まではだいたい一年ごとに会っていたから、これほどまで期間が空いてしまうのは初めてのことだった。都合があわなかったというわけではなく、互いに何となく気が進まなかっただけだ。私たちは二年ものあいだ連絡をとりあわなかった。そしてふと彼の存在を思い出した私は久しぶりに連絡をとってみた。そのときに前回の連絡から二年もの歳月がたっていたことを知って驚いたのだった。
休日の夜に私たちは会った。飲み屋のカウンターに座り日本酒をひやで飲んだ。奥の座敷では若い男たちが騒いでいたが、その声は私たちのところに届く頃には勢いを失っていた。
私たちは黙ってグラスに注いだ日本酒を飲んだ。二人ともよく話すタイプの人間ではない。夏の終わりの暑さが身体から抜けていくのを静かに待った。注文した生酒は口当たりがよく、澄んだ水の流れの香りがひとくち飲むたびに立ち現れたが、長続きせず、惜しむ間もなく去っていってしまうのだった。
私はつまみとして頼んでおいた生牡蠣に手をのばした。牡蠣たちは岩塩をしきつめた皿に見栄えよく並べられている。私は岩牡蠣をひとくちで食べ、殻に口をつけて汁を飲んだ。頬のうちがわで舌を動かして牡蠣の内臓の苦さと生臭さを探した。
「この牡蠣はうまいよ」と私は言った。「食べないのか?」
彼はただちょっとした笑みを浮かべただけだった。首をかしげて酒を飲んだ。
私は遠慮せずにもうひとつの牡蠣を食べた。
「もう二年もたってしまったなんてな」と私は言った。
「おれたちはもうじゅうぶん老いたんだよ」と彼は言った。「老いはおれたちからいろんなものを奪っていったが、時間感覚もそのひとつだな。老いはそれ自体によってさらに老いを導く。だから老いっていうのは指数関数的に増悪していくんだよ。気がつけばあっという間に痴ほう老人さ」
私は彼の言いぶりに笑った。「やっぱりお前は詩人だね」
「もう違うさ」と彼は言った。そしてやっと牡蠣をひとつ取って口に運んだ。
私と彼は大学時代に同じサークルに所属していた。私は小説を書き、彼は詩を書いた。私は一年もたたないうちに早々に文章を書くのをやめてしまったが、彼は最後まで詩を書き続けた。
「お前らはよくカメラで写真を撮るだろう?」と学生の頃の彼はサークル仲間によく言ったものだ。「でもその写真を現像したとき、必ずいくらかの失望を感じるはずだ。というのは、お前らは自分の見たものをカメラでしっかりと捉えたつもりでいるのだが、実際に現像されたものを確認してみると、それとは違う、別の風景がそこには現れているからなんだ。カメラの目と人間の目はちがう――言ってみれば当たり前のことだが、その微妙なちがいが、写真を目の前にしたおれたちには大きくはっきりと現れてくるんだね。詩も同じだよ。おれたちは言葉を使うのに慣れきっているが、おれたちがふだん使う言葉とはまさしく写真なんだ。ではおれたちが生身の目で見ているもの、それは言葉に対してのものそのもの、となるのだけど、それはいったい何なのか? ……それを知り、表現するための手段が詩なのだとおれは思う。言葉の外にあるもの、言葉の枠外にあるものを既存の言葉のくみかえで表現しようとする試み、それはとても苦しいものだ。例えばおれはいま悲しみについての詩を書こうとしている。けれど、悲しみとはとどのつまりどういうことなのか? おれはよくわからない。人は悲しみを語るとき、その悲しみが生じる原因しか語らない。つまり失恋したからとか、大学受験に失敗したからとかさ。悲しみは悲しみとしてでしか語りえない、でもおれはおれの悲しみについて知りたい。力不足なのはじゅうぶんわかっている。だからいろいろな詩人から勉強しているよ。とくにリルケはよく読んでいるんだ」
リルケは彼のお気に入りの詩人で、その詩についてかつてよく話を聞いた。彼に影響されて私も大学の図書館でリルケを読んだことがあった。ところがその内容をいまではすっかり忘れてしまっている。彼も同じだろうか。彼はまだリルケを読み続けているのだろうか? 私たちにとっては一瞬だったが現実的に考えてみれば重たいくらいに長く思える、私たちのもとから過ぎ去っていってしまった時間は、彼からリルケをも奪っていったのだろうか?
私は彼に聞いてみた。
すると彼は想定外の反応を見せた。驚いたように口を少しあけてこちらを見たかと思うと、すぐに目をそらして不愉快そうな表情をした。私は自分が彼にとって何かよくないことを言ってしまったのだと理解した。そして彼の様子を注視してみると、彼をとらえているのは不快どころではなく、まさしく苦しみであるということがわかった。唐突に直面した彼の苦しみに私は戸惑い、どうすればいいのかわからなくなった。
「読んではいないが、思い出すことはあるよ」と彼はぽつりと言った。
私は自分の発言を後悔した。リルケについて話すことは彼に学生時代を深く想起させ、そのことが彼をひどく苦しめたのかもしれない。だが過去に学生時代のことについて詳しく話しこむことは何度もあった。では私たちが会わなかった二年間のうちに彼に何らかの変化が生じたのだろうか? しかしこれもにわかには信じられなかった。彼はさっぱりとした性格をしていたので、過去の失敗や恥についてくよくよ悩んだり、あるいは逆に過去を理想化して現在とつき合わせ、あれこれ愚痴を言ったりするような種類の人物ではなかったからだ。
なら彼を苦しめているのは過去のことではなくて、つい最近の出来事に起因しているのだろうか。リルケをきっかけとして引き出される嫌な出来事が何かあったのだろうか?
「リルケはもう好きじゃないのか?」と私は聞いた。後悔よりも背後に隠れていた好奇心が勝った。
「なぜそんなことを聞く?」彼は少しムッとして言った。
「リルケの書いた詩集、オルフォイスへのソネット。学生だったとき、ひどく気に入っていたじゃないか」私はかまわず話し続けた。「思い出す詩っていうのはそれだろう」
「オルフォイスへのソネット以外に、リルケについてお前が知っていることは他に何かないのか?」彼はわざとらしく顔をしかめてみせた。「それしか知らないからそう言うんだろう」
「そうかもしれない」私は薄くなった頭を撫でながらごまかした。「最近なにかあったのか?」と私ははっきり問いかけてみた。
「なにかって?」彼は酒をぐいと飲んだ。
「そりゃあ、いろいろあるだろう」と私は言って、そのいろいろについて考えをめぐらした。「娘さんはもう大学を卒業したんだっけ?」私は彼の悩みは家庭に関することだと目星をつけて言った。
彼はグラスを手に持ち、うつむいたまま頷いた。「あいつにしてはけっこういい会社に入社できたんだ。がんばっているだろう」
「順調なのか?」
「順調だよ。なんの心配もしてないよ」
「奥さんは? 元気か?」
「ピンピンしてるよ。少し元気すぎるくらいだから、軽い病気にでもかかって多少なりともその勢いを失ってほしいくらいだ……」
私たちはそのまま互いの家庭の状況についてしばらく話した。そうしながら酒を新しく追加し、また焼き牡蠣と金目鯛の煮つけを注文した。やがて沈黙が再び私たちのあいだに訪れた。話をしている最中、彼が私に返す言葉からは生気がだんだんと失せていったので、それは自然なことだった。煮つけをつついていると店のドアが開かれ、数人の客が入ってきて奥の座敷へと案内されていった。彼らが私たちの後ろを通り過ぎると、彼らが外から抱えてきたざらつく残暑の空気が私たちの肌をかすめていった。
私は彼に声をかけようとして顔をあげた。しかし言葉はでてこず、私は口を閉ざして彼の横顔を見つめた。最初、彼はただぼんやりとしているのだろうと思った。放心したようにして目の前の光景を見るともなしに眺めているのだろうと。しかしそうではないと私は気づいた。彼はいま全くの空虚さのなかに落ちこんでいた。クーラーで冷やされた居心地のよい居酒屋にいながら彼だけは完全に孤立していた。彼の心だけはひどく乾燥した荒野にあり、そこで立ちすくみながら、苦痛も心地よさもなにも与えてはくれない緩やかな風に吹かれていた。だからこそ彼はここにいる必然性を実感することができず、そのことが彼に居たたまれなさを感じさせていた。なぜ自分はこんなところにいるのだろう? 我にかえって思わず自問する声が聞こえてきそうだった。
私は無理に話しかけることをやめ、この状況にふさわしい別の言葉がやってくるまで待つことにした。焦る必要はない。物事はなるようにしかならないのだ。すでに方向を定めて流れている川に対して私たちができることは何もない。私たちが川のほとりで手を水にひたしたとして、水は私たちの手を優しくなめつつ、なんの苦もなく自分たちの決めた道を進んでいくだろう。彼らの進路を変えることはできない。だが私たちは水の行くさきで待ちかまえている物事を受け入れることはできる。それが悪い知らせをもたらすものであったとしても。
彼はコップを置いた。コトリと小さな音がした。
「おれはもう本当に老いてしまったんだな」と私は息をはいて呟いた。
「どういう意味だ?」と彼は言った。彼の声には思いがけず色が戻っていた。
「何かに焦るということがなくなったんだよ」
「おれたちは若者のように必死で未来を追い求める必要がもうないからな」と彼は口を挟んだ。
「そうじゃなくてさ、おれが言っているのはもっと小さなスケールのことだよ」私は言った。「例えばさ、もうおれたちは他人と話すときに沈黙を恐れない。若いときはあれだけ怖がっていたのにさ? 人の機嫌に振りまわされることがなくなった。妙に落ちついていられるようになっているんだよ」
「確かにそうだ」と彼は言って肩をすくめた。「おれたちは老いて鈍感になった」
「いつもぼんやりとしていてね。頭は空っぽだ」と言って私は笑った。
彼はちょっとした笑みを返したが、自分の気持ちに反したものであるのに違いなかった。すぐに真剣な表情に戻ってしまった。私は再び彼のなかに苦しみを見た。私の軽口が彼を傷つけたのだとわかった。
「むなしいかい?」と私は聞いた。
彼は少し恥ずかしそうに笑った。手に持っていたグラスから酒がこぼれて彼の指をうすく濡らした。
「むなしさっていうのはいったい何だろうね?」彼は顔を隠すように深くうつむきながら言った。「それはどこからやってくるものなんだろう?」
「いまやっていることが、実は全く意味のない無価値なことだと気づくとき、おれたちはむなしさを感じるんじゃないか?」私はそれ自体が意味を持たないような一般論を言った。
「つまり、空っぽだ。自分が空っぽだと、空虚な存在だと知ることだ。むなしさっていうのはそこから漂ってくるにおいのようなものだね」と彼は言った。
「そんな弱音を吐くなんてお前らしくないな」
「ところがさ、おれはいま空虚さを強く感じているんだ。もうやっていられないよ」と彼は助けを求めるように言った。
私たちは再びしばらく沈黙した。私は彼のグラスに酒を注ぎたした。
彼はグラスを私の方に持ちあげてみせた。そのようにして彼は感謝を示したのだった。
「お前の空虚さはどこからきたんだ?」
「わからない」
「最初はどうだったんだ? その空虚さが初めてやってきたとき、お前は何をしていたんだ?」
「最初は……」彼は口ごもりながら喋った。「おれはジムにいて、運動していた。割と空いている日だったな。まず一時間ランニングして、それから筋トレをするんだ。いつもそうしている。その日もランニングを終えて、備えつけの流しで顔を洗い、マシンに座った。いくつものマシンを使いながら、さらに一時間くらいゆっくりと時間を潰した。ジムのガラス窓からは夕日がさしこんでいた。いつもはブラインドがおりているから珍しいことだった。おれはちょうどガラス窓と向き合うかたちで座っていた。壁いちめんに張られたガラス窓で、すぐそこにある小道を、ランドセルをしょった子どもたちや、幼児をつれた母親たちが歩いていった。おれはそのとき太ももを鍛えていたんだが、やりすぎて悲鳴をあげた足をだらんとたらして、ぼんやりとしていた。窓の外に見える豊かな笑い声がこちらに届くことはなく、こっちも黙々と作業に没頭する人しかいなかったから、おれの周りに音はなく、静かだった。ジムの照明は夕方の遅くになると光量が増すんだが、まだその時間ではないらしく、ジムはだんだんと薄暗くなっていった。そのぶん、オレンジ色にさしこむ夕日の光線はくっきりと浮かびあがってきた。そしてそのときおれは自分が空虚感のなかに沈みこんでいるのに気づいた。おれは自分が今やっていたこと、目的としていたこと、それらに対して感じていた充足感を一瞬にして失った。おれは自分がなぜジムにいるのかわからなかった。もちろん運動することは健康にいいことだし、身体をほどよく動かすこと自体が楽しいものでもある。しかしそれがほとんど無価値なしろものであると気づいたんだ。いったい、そんなことをして何になる? ……身体は重かった、巨大な岩に押しつぶされているかのように重かった。おれは自分の人生が紙しばいのように薄っぺらいものであると感じた。誰かがおれの人生をくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱に放り投げるのを見た。その誰かとは、まさしくおれ自身に他ならないんだが……」
彼がそんなことを言うのを聞いて、私は純粋に驚きだけを抱いた。彼の人生は、人間社会の上位に位置するというわけではないが、じゅうぶんに幸福な部類に属しているように私には見えていたからだ。大学生活を楽しみ、恋をして、結婚し、仕事に精をだしながら子どもたちの成長を見守る。それらの出来事には「幸福な生活」というものがたっぷりと詰まっているはずだ。赤い果粒のぎっしりと詰まったザクロの実を割ったときのように。
私は首をゆっくりと横にふった。
「違うんだ」彼は噛みつくように言った。「おれは本当の人生を生きていない。おれは他人の価値観を自分のものだと信じていたにすぎないんだよ。道ばたに転がっている、単純明快でわかりやすい、誰にとっても不自然ではなくて、むしろ優れているとみなされているキレイな石ころをさ。……退屈なんだ。おれは飽きてしまったんだよ、仕事にも、家族にも。柔らかく生ぬるい空気の牢獄に閉じこめられているような気分だ。とても耐えられるものじゃない」
「根をつめすぎているな。考えすぎなんだよ」
「おれは考えているんじゃない、感じているんだ。今ここにある、生々しい感じとして」彼は言った。「リルケの詩にあるだろう? ほら、お前の言った〈オルフォイスへのソネット〉にさ。カルスト台地のほら穴に住む〈洞くつ鳩〉を、布をたらして振ることによって驚かせて、とび出てきたところを捕まえる、あの狩りについての詩。おれはその狩人になった気分だよ、ただし、ほら穴にたらした布をいくら振っても鳩たちは出てきてくれないんだ。あれと思って覗きこんでみると、……鳩たちは暗やみのなかで身じろぎもせず、丸い目でこちらをじっと見上げている。そして狩人は自分がやった仕事がムダに終わり、さらにこの方法がもはや意味をなくしてしまったのではないかと予感して不安に思う。リルケが書いたように、暗やみは光のなかへ投げ出されはしない。おれの場合、暗やみは元の場所にとどまり続ける。狩人の、仕事が徒労に終わって沈んでしまった暗い心のなかに」
友人との飲みからしばらく月日がたった、ある秋のはじまりの休日の朝、私は散歩がてら近くにある図書館によった。図書館に入るのはひさびさだった。館内には音がなかった。まるで全ての音がそこに静かにたたずむ大量の本によって吸い込まれてしまったかのようだった。
私はリルケの詩集を見つけると、「オルフォイスへのソネット」を探した。そして彼の言っていたカルスト台地での鳩狩りについての詩を読んだ。読み返すのは大学生いらいのことだった。
彼が飲みの席で言ったことについて、私は全く理解できないというわけではなかった。私たちはもうすべきことをほとんどしつくしてしまったのだ。たしかに私たちには子どもたちがいるし、会社に行けばまだ仕事は残っている。ところが、それらは私の後ろにあるものであり、顔をあげて前を見てみると、そこにはただひとつのものしかない。家庭や仕事はもはや私の心を動かさないが、目の前にあるそれは私の心をつかみ、非常にいやなやり方で揺さぶる。私はそれから逃げるために「幸福な生活」を夢中になって追い求めてきたのではないか? そんな極端な考えも浮かんでくる。私は逸れていた視線をもどし、再びリルケの詩に目を落とした。「死の、かずかずの、平静にきめられた規則が成り立った、……」私はそのまま立ちつくしながら、気の向くままにリルケの詩をいくつか読んだ。
図書館からでると街の雑多な音に取り囲まれた。午前の光が暖かく空気に満ちている。私はさきほど読んで新しい印象をうけた詩について考えていた。リルケの「変容」について書かれた詩だ。その詩において、物事が変化することは炎に喩えられている。リルケは美しいものとしての炎を書いたが、私はイメージのなかで別の属性を炎にあたえていた。私のイメージしたのは小さな炎だった。一本の白いロウソクに灯された小ぶりの火。私の友人はその火に手のひらをかざしていた。火は彼の手を焦がし、肉を焼きくずしていった。激しい痛みに彼の顔はゆがんでいる。しかし彼は小さな火から手をのけることができない。
変容というのはつまりはそういうことなのだ、と私は思った。炎のなかで「変容」が進行するのを私たちは耐えるしかない。生きるために必要だった、情熱と穏やかな幸福を生み出すみなもととしての価値観を失くしたのち、私たちはそれでも続く生のなかで、死と向き合いながら、再び何らかの新しい価値を見いだすことはできるのだろうか?
リルケはその最後のスタンザでこう述べている――「すべての幸福な空間は別離の子か孫であり、その空間を人びとは驚嘆しつつ通り抜ける。そして変容したダフネは/自らを月桂樹と感じていらい願っているのだ、おまえが風に変じることを」〈終〉
※注 ギリシア神話において、アポロンからの執拗な求愛から逃れるためにダフネは自らを月桂樹に変身させ、その追跡から逃れた。
引用:R.M.リルケ「オルフォイスへのソネット」田口義弘訳/河出書房新社